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慈眼寺
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慈眼寺
大久保氏内庵の一なり、字入谷津にあり。黄檗宗、山城國宇治郡大和田村萬福寺末。福聚山無量壽院と號す。大久保加賀守忠増、元禄十六年十一月廿三日大地震し、府内の人民横死許多なるを傷み、彼等追福の為に、一宇を建る志あり、幸に郡中府川村に、洞家の廃寺あり(久野村総世寺十世香馨、慶長十五年、隠棲の為に起立する所なり、萬治三年香馨卒後、廃蹟となる)、西光寺と號す。忠増彼寺の本寺総世寺の住僧(十八世實全)と謀り、寛永元年、引寺號の事を官に乞ひ、(寺社奉行安部飛騨守正喬奉れり)同四年許可あり。(本多弾正少弼忠晴奉れり)、是に於て寺號を慈眼寺と改め、正徳元年黄檗山の末となれり。同五年堂宇を此地に造立し、僧恵極をして住職とす(享保六年八月廿四日卒)。是を中興開山となす(實は開山なれど、舊寺を引遷せしを以て、中興とせしなり)。西光寺の舊地は(府川村内字天神下にあり)、今除地にして(今林となる、段別四畝四畝)、當寺の持なり。
本尊三尊弥陀。領主より米三十苞、金若干両、及び伊張山にて(久野村の属)、山林(段別五十三町)を附す。
鐘楼。享保廿一年四月鋳造の鐘なり。
鹿島社。寿永元年造立。(新編相模国風土記より)
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